神さまに出会うために 古屋司信長老
エレミヤ書29:13
私たちは、神さまに出会うため、神さまのことをもっと知りたい思うために、どんな事が必要なのでしょうか。
参考になるかどうかわかりませんが、先々月放映されたNHKのTV番組を見て、私は大変感動しました。
番組内容は次のようなものでした。今から二十数年前のことです。小浜のある高等学校に先生が新しく赴任してきました。しかし、この高校は廃校の危機にありました。おまけに生徒たちは荒れて、学習意欲がまるでなく、教室での授業が成立しませんでした。先生は驚き、困りはて、生徒と学習のつながりを模索し始めました。ある日、先生は生徒たちを教室外へ連れ出しました。近くの港で漁師さんの手伝いをする課外授業をするためです。生徒たちは、周囲の不安をよそに、教室内で見られないような楽しい表情で、漁師さんと接し、「おっちゃん!これどこに置くん?」と、驚くべき社会性をも彼らのうちに見る事ができました。彼らは、海の仕事をしたからなのでしょうか、海の厄介者エチゼンクラゲの大量発生に目が向き、それを食品にするという課題を自らが見つけ、食品工業科の一生徒としてその問題に挑戦したのです。
思えば、小さい時から、偏差値で選別され、進路が決められ、とっくに学びをあきらめていた彼らがなぜそこまで熱意をもって、その課題に向き合ったのでしょうか。それは学びへの深い餓え渇きがあったのではないでしょうか。それを掘り起こした先生も素晴らしいと思いました。教室の中で、鍋で煮て、データを記録する。楽しい試行錯誤の繰り返しは実は実験、研究だったのです、そしてそれは立派な学びでした。
努力の末、クラゲのコラーゲン抽出、粉末化に。成功しました。彼らの記録した膨大なデータは大手食品会社のそれと何の引けも取らなかったそうです。
やがてこのデータは後輩がその意志を受け継ぎ、鯖缶となって国際宇宙ステーションに届けられることとなりました。神さまに出会うため必要なこと、それは真理への渇きです。
ヨハネ7:37~38 今も神さまはこう語っておられます。何か満たされない思いがあるなら、感謝すべきことです。それは神さまをより深く知る事ができるチャンスです。